「黙秘権」について考えよう。

黙秘権とは?

黙秘権ってご存じですか?

黙秘権は読んで字のごとく「黙っている権利」です。

刑事手続きでは被疑者・被告人に対する取調べが行われますが、その際被疑者・被告人は自分に対して投げかけられる質問に答えず黙っていることが法的に認められています。

また、この質問には答える、この質問には答えないという具合に質問を選り好みして回答することもできます。

黙秘する理由を説明する必要もありません。

これが黙秘権です。

犯人に違いないから黙秘する?

我々は「黙秘」に対して,「弁解できないから黙ってるんだろ」とか「黙秘するということは犯人に違いないからだ」と素朴に考えがちです。

しかし,法は私たちに「この素朴な感覚に従ってはならない」、「黙秘すること自体を被疑者・被告人に不利に扱ってはならない」と要求するわけです。

どうしてこのような黙秘権という権利が被疑者・被告人に認められているのでしょうか。

今回は黙秘権について考えてみましょう。

和歌山毒物カレー事件の第1審判決を読む

黙秘権について大いに参考になるのが平成10年に発生した和歌山毒物カレー事件の第1審判決(和歌山地裁平成14年12月11日判決)です。

私の言いたいことはこの判決文に凝縮されておりますので,以下,かなり長くなってしまいますが引用します。

ちょっと難しいかもしれませんが,辛抱して読んでみてください。

刑事手続は,国家権力が個人に強制力を使ってまで事案を解明することを求めており,訴追機関と被訴追者である個人が真っ向から対立することを予定している。しかしながら,訴追機関と被訴追者の力のアンバランスは明白であり,それが種々のえん罪を生んできたことは歴史上明らかである。そこで,法は,力のアンバランスが悲劇を生まないよう双方の力のバランスを保つため,被訴追者たる個人は国家権力の行使者である訴追機関に対して自ら弁解を主張する必要はなく,訴追機関側が考えられるあらゆる弁解をその責任において排斥すべきこととしたのである。そして,そのために設けられた制度が黙秘権である。
ところで,事実上黙秘することは,特に権利とされるまでもなく,誰にでもできることである。したがって,黙秘することは「黙秘権」という権利まで高めた眼目は,まさに,黙秘したことを一切被訴追者(被告人,被疑者)に不利益に扱ってはならないという点にあるといわなければならない。
(中略)
・・・社会的には,不利な事実に対して黙秘することは,それが真実であって反論できないからであるという感覚の方が相当なのかもしれない。したがって,黙秘したことを被告人に不利益に扱ってはならないという黙秘権の制度が,一般世人にとって,納得のいかない印象を与えるのはむしろ当然なのかもしれない。
しかし,刑事裁判においては,被告人が黙秘したことを不利に扱えば,被告人は弁解せざるを得ない立場になり,結果的には弁解するだけでなく,弁解を根拠づけることまで求められ,ひいては,国家権力対個人という力のアンバランスが生む悲劇を防ぐべく,実質的な当事者主義を採用し,攻撃力と防御力の実質的対等を図ろうとしている刑事訴訟の基本的理念自体を揺るがすことに結び付きかねないのである。
したがって,黙秘権という制度は,むしろ黙秘に関する社会的な感覚を排斥し,それ以外の証拠関係から冷静な理性に従って判断することを要求していると解すべきであり,もし黙秘するのはそれが真実であるからであるという一般的な経験則があるとするなら,むしろそのような経験則に基づく心証形成に一種の制約を設けたもの(自由心証主義の例外)ととらえるべきものである。

いかがでしたでしょうか。

「黙秘するということは,犯人に違いないからだ!」という我々の素朴な感覚に基づいて捜査・裁判を行ってしまうと,えん罪という悲劇を生み出してしまいます。

それは歴史が証明するところです。

こうした過ちを繰り返さないために,人類は知恵を絞ってきました。

黙秘権という制度もその一つです。

黙秘権はえん罪という悲劇を生まないための人類の発明なのです。

被害者救済・真相究明はどうする!?

「でもそれじゃあ被害者がかわいそうだ」「黙秘なんかさせると真実が明らかにならないじゃないか」ということもあるかもしれません。

この点についても判決文は軽く言及しております。

なお,本件において被告人が黙秘の態度を貫いたことに対し,一部強い反発が見受けられる。その反発する心も理解できるところではあるが,前述した黙秘権の趣旨,すなわち,法は,えん罪という歴史上明らかな悲劇を防ぐために,人類の理性に期待し,あえて社会的には相当と思える感覚を排斥することを要求したという趣旨から考えると,やはり被告人(被疑者)の黙秘に対しては冷静な理性で臨まねばならない。そして,被告人(被疑者)の黙秘に対する反発の声は,被告人(被疑者)の供述に依存しない事実認定の手法や証拠法の創設,訴訟手続内外の被害者保護制度の拡充等の方向に向けられていくことを期待したい。

被害者保護や事件の真相究明のことも考えなければならないことは言うまでもありません。

しかし,それは被疑者・被告人の黙秘権を制限するという方向で考えるのではなく,別の方法を考えるべきでしょう,というのがこの判決文の言わんとするところです。

まとめ

納得できるところ,できないところあるかもしれません。

むしろ,我々の直観に反することを求めているわけですから,納得いかないのももっともです。

しかし,黙秘権がどういった理念に基づいて制度化されているかについてはぜひ知っておいていただければと思います。